お買い得なコントレックス
銀行がハイリスクな証券ビジネスに足を踏み込んで経営破綻に陥るケースが続出した。
信用創造の中枢部分を担う銀行がそのような危険に身をさらす状況にあったことで、一九二九年恐慌とその後の一九三○年代不況は一段と深刻さを増したし、そこからの立ち直りに時間を要することになったのである。
そのような事態に二度と再び陥るまいという決意が、当時の金融行政の方向性を大きく規定した。
銀行と証券の間に厳格な垣根を設けることが、何よりも重要な課題と位置づけられたのである。
だが、この法律が一九九九年に改訂され、銀行と証券の相互参入に再び道が開かれることになった。
ここから、世は金融コングロマリット、あるいはユニバーサル・バンキングの時代に入ったのである。
金融コングロマリットにせよ、ユニバーサル・バンキングにせよ、その意味するところは同じだ。
いわば何でもありの金融サービス業である。
金融サービスに関するワンストップ句ショップなどという言い方もある。
一つの金融機関が預貯金も取り扱うし、証券売買もやれば、投資信託も販売する。
こうして金融の利便性を高めることこそ、金融グローバル時代にふさわしいやり方だ。
そのように気炎を上げる金融業界の声にいわば押し切られる形で、一九九九年の法律改定が実現したのである。
その中で生まれたのが、今日のシティグループやJPモルガン・チェース社だ。
後者は、FRBの後押しを得て、やはり投資銀行であるベア・スターンズ社の救済合併を行った。
二○○八年三月、今回の「地獄の扉が開いた日」の半年前のことだった。
こうして、リスクを取ることが商売の冒険投資銀行たちが、預金を受け入れる商業銀行の掌中に納まったり、みずから商業銀行業務に携わったりするようになった。
今回の恐慌深化の過程で、この傾向が顕著になっている。
事実、いまや、投資銀行ビジネスを単体で営む金融機関はなくなってしまった。
投資銀行と商業銀行がどんぶり勘定を共有することには、それ自体としてリスクが伴う。
これはいうまでもないことだ。
それを回避するために、一○年前まではグラス・スティーガル法があった。
だが、その歯止めがない今、危ない橋を渡る稼業の投資銀行たちが、石橋を叩いても渡らないことが本来の原則であるはずの預金受け入れビジネスに活路を見出そうとしている。
これは、それ自体として危うい話だ。
サブプライム問題の登場前節で地獄の一扉が開いた日の顛末をみた。
いうまでもなく、あの日一日が全てではない。
地獄の扉を押し開けようとするエネルギーは、もっとはるか以前から煮えたちつつあった。
その圧力が沸点に達したのが、あの日だったということである。
その沸騰は、いつ、どのようにして始まったか。
本当の出発点を探りあてるには、ざっと四○年近くほど歴史をさかのぼらなければならない。
この歴史的検討は後で行いたい。
ここでは、さしあたり、かのサブプライム問題に焦点をあてておこう。
サブプライム問題という言葉が世界のメディアを騒がせ始めたのは、二○○七年の夏場のことである。
それ以前からも、ちらほらと金融専門誌などで取り上げられてはいたが、事の起こりは証券化という名の錬金術メディアに本格デビューした二○○七年の七,八月あたりのことだ。
このころか、グローバルに展開する金融機関たちがこの問題に足をとられて窮地に陥るようになりその第一号が投資銀行のベア・スターンズ社である。
二○○七年七月、同社傘下のヘッジファンドがサブプライム証券化商品への投資焦げつきがもとで破綻した。
続く八月には、フランスの大手銀行グループ、BNPパリバ社が同じ状況に陥った。
やはり傘下の投資ファンド三社がサブプライム証券化商品に関する大損を出して、顧客からの投資解約要求が殺到した。
彼らは資金繰り難に陥ってその要求に応じ切れず、解約凍結を打ち出さざるをえなかった。
この時点で、サブプライム問題は本格的にグローバル金融の舞台中央に躍り出た。
さらに九月には、イギリスの地方銀行、ノーザン・ロックがやはりサブプライム投資に伴う大損失を出した。
取り付け騒ぎで、店頭に預金者の長蛇の列が出来る始末となった。
結局は公的資金の注入を受けることでなんとか決着がついた。
そして、二○○八年三月、先に傘下のヘッジファンドが問題を起こしたベア・スターンズ社が、今度はみずから破綻の危機に陥った。
これについては、FRBの仲介と資金協力を得る形で、前述の通りJPモルガン・チェース社が救済役を果たした。
これで一安心かと思いきや、九月に入って大問題が出来した。
アメリカ住宅市場の二本柱だったはずの二機関が、やはりサブプライム問題のおかげで倒壊寸前の状態に追い込まれたのである。
彼らの名前はファニーメイとフレディマックである。
この問題の詳細については、サブプライム問題そのものの検討を終えたところで立ち戻ることとしよう。
結論的にいえば、彼らはいずれも事実上の国有化という形で救済された。
この一件が落着して一同やれやれと胸をなでおろした矢先に、リーマン問題が発生し、そこからグローバル恐慌へとなだれ込んでいったわけである。
問題の本質はどこにそこで、サブプライム問題である。
この問題が、アメリカ国内のみならず、大西洋をまたいで欧州の金融システムを震憾させた。
そして今なお、世界中でくすぶり続けている。
この問題の本質を抑えておかなければ、ここから先へは進めない。
まず、初めに確認しておかなければならないことがある。
それは、要するにサブプラィム問題はサブプライム・ローン問題ではないということである。
何がどうしてこうなったサブプライム問題という言い方をすると、どうしても、これはサブプライム・ローンというカネの貸し方に問題があったという話なのだと思えてしまう。
サブプライム・ローンは、アメリカの住宅金融機関が行う住宅融資の方式だ。
日本の新聞紙上などでも、この問題に言及する時には、必ず「米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライム・ローン)問題」という書き方をしている。
こう言われれば、サブプライム問題はすなわちサブプライム・ローン問題のことで、サブプライム・ローンはアメリカで行われている融資のやり方だから、アメリカの問題だ、という具合に論理のシリトリが展開してしまう。
これがいけない。
もっとも、確かにサブプライム・ローンという融資のやり方には大いに問題がある。
どうみても返済能力がなさそうな人々に無理矢理に住宅ローンを押しつける。
後になればなるほど利率が高くなるローン地獄に人々を引きずりこんでいったりする。
こんなヤミ金融まがいの融資方式が問題でないはずはない。
「サブプライム」という言葉は、要するにプライムレート最優遇金利よりも金利が高いということを意味している。
所得返済能力からみれば、とうてい最優遇金利の適用資格がない人にも、「少し高めの金利でよければお貸し出来ます」というわけである。
だが、話はそこでは終わらない。
少し高めの金利を提示しながら、金融機関は実は別のことをいう。
すなわち、「実際にはこの高めの金利をお支払い頂く必要はすぐになくなりますよ」というのである。
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